今回は,『死』というテーマについて考えてみたいと思う.
久しぶりに,このような日記系の記事を書くので,少し拙いとこがあるかもしれないがご愛嬌ということで,よろしく願いたい.
目次
平均寿命80歳
日本の平均寿命は1の位で四捨五入すると,約80歳である.
これを長いと見るか,短いと見るか.
もし,戦争中でいつ死ぬか分からないようなときに,80年というスパンを見れば,長いと思うかもしれない.
もし,毎日生きるか死ぬかを考えないような平和な時代に生きていたら,長く生きていたいと思うかもしれない.
平均寿命80年
自分でこの文字を書いてみると,ものすごく死というものを身近に感じる.タイピングする手に汗が滲み,鼓動が早くなる.
私は現在21歳の大学生だが,普段の生活で「死」というものに正面から向き合ったことがない.
学校でも,
「今あなた達は20歳だから,人生の1/4は終わりました.残りの人生をどう生きますか?」
と話題に上がることが一度もないように感じる.
非日常は突然に
最近,個別指導の生徒の女の子からLINEが入ってきた.
「先生,私,癌になりました.お父さんと同じ病気になっちゃた.」
その子は,半年ほど前にお父さんを癌で亡くしている.
私は,その子に返す言葉がなかった.物心がつくようになってから,親を亡くした人や死ぬかもしれない重い病気にかかった事を,当事者本人から知らされたことが初めてだった.
そのLINEを受けとった時,既読をつけたまま気づいたら10分が経っていた.
その話がきっかけとなって,死というものに,心が溶けてしまわない程度に,少しだけ勇気を出して向き合ってみたいと思う.
人生の優先順位
人間はどう死ぬかへの決定権はほぼ無いに等しいのに対し,どう生きるかへの決定権は持つことができる.すなわち,死を考えるということは生を考えるということになる.
よって,生についての考察を深めていきたい.
どう生きるか,これは甚だ難しい問題だ.答えもなければヒントもない,百人十色だ.
では,まず初めに人生の優先順位について考えたい.
こんなものは理想論だし,平和だからこそ決めることができる?と思うが,一応考えてみたい.
もちろん,人生の節々で変わることはあるだろうし,現時点の想像できことでしかない.しかも,未来になれば概念そのものも消えるかもしれない.例えば,将来人間は仕事をしなくても良くなる場合,仕事は優先順位そのものにも入れない.
私は人生というものは,二元論的に議論できると思っていた.
ひとつは,「自己」としての人生
ふたつめは,「他者のため」としての人生
しかし,これは世間が作り上げた幻想にすぎないと思う.
なぜなら,「他者のため」になることをしたいと考えた時点で,それは「自己」がしたいと思ったことであり,結局は自己のためになると考えるからである.
結婚して,家族を無償の愛で育てることは,まさに「他者のため」の人生の典型例だと思っていた.しかし,そこには確実に「自己」のための要素が入ってくる.
「自己のためであって,他者のためでもある」ということは,あり得るが,
「他者のためであって,自己のためではない」ということは,あり得ないと思う.
よって,この定義より人生を二元論的に再定義するならば,
「自己のため かつ 他者のため」
「自己のため かつ Not(他者のため)」
という二つに分けて議論することができると考える.
「自己のため かつ Not(他者のため)」
この人生はどんな人生だろう.人生というくくりで考えると,大きすぎるので具体的な行動という観点から考える.
・欲望のままに行動
自分の欲望を満たすためだけに行動することは,自己のためだけと言えるだろう.例を挙げると,もろもろの犯罪,悪徳商法,パチンコ?,ギャンブル?,タバコ?,ゲーム?,etc
悪い例しか思いつかないが,もしかしたら”良い”例があるのかもしれない.
「自己のため かつ 他者のため」
こちらの方は,”社会的に良い”とされる行動が思いつく.
人類(周りの人,少なくとも自分以外の一人の人間,または動物)の幸福度を上げる仕事,家族を育てる,勉強,恋愛,etc
私自身もこのブログを書くことは,もちろん自分のためではあるが,誰かの心に届いて少しでも影響を与えることが出来たら幸せだと思う.
やっぱり他者のために生きたい
限られた人生,やっぱりできるだけ他者の幸福度を上げるような人生の選択をしたいと思う.
今する行動が,将来の「他者のため」の人生の最大化につながるような行動を優先していきたいと思う.
具体的な行動を書いても,その時々の価値観によって左右されるので,意味がないと思う.
このことは,心に留めて生きていきたい.
やっぱり今日
何といっても人間は今しか生きることができない.今日中に死んで,明日がないかもしれないし,過去に戻ることも現時点の技術ではできない.
全人類に当てはまることは,「幸福度の最大化」だと思う.
どんな人間も,幸せになりたくない人はいないだろうし,人生においてできるだけ幸福度を大きなものにしたいだろう.
現時点の欲望に従えば,現時点の幸福度は上げることができる.それを毎日やってもいい.もしその行動が,人生の幸福度を最大化できると思うならば.
「好きなことで生きていく」
この言葉に本当に従って生きると,人間の欲望のままにしたいことをするだろう.
しかしこの言葉を使っている人は,人生における幸福度の最大化をしつつ,お金を稼ぐ,ということを言っているように思う.
なぜなら,自分が決めた価値観に沿うもので,かつお金を稼ぐことができるかもしれないことを,コツコツ続けてきた人達が言っているからだ.
この言葉を言う人達は,決してその時々の欲望に従って行動しているわけではない.Youtubeの動画を作ることはもちろん大変だ.
もし仮に私が,1年間毎日ヒカキンクオリティの動画を編集して投稿すれば1億円もらえますよ,と言われても多分やらないと思う.
動画を撮って,編集することに人生の大半を使うことになるし,私の人生の価値観に合わない.
だから,自分自身が自己の価値観に合う範囲で,
「好きなことで生きていく」を実現できればいいんじゃないかと思う.
そのためには,一日一日を,つまり今日という日を,自分の価値観に照らし合わせて,しっかりと生きていくことが大事ではないかと思う.
拙い文章にご付き合い頂き感謝する.
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